2012年第5回日本生態学会大島賞 受賞講演
(2012年3月20日 大津市、龍谷大学瀬田キャンパス)
半谷吾郎(京都大学霊長類研究所)
「サルの数を決めるもの: 屋久島のニホンザルの垂直分布と社会変動」

 京都大学霊長類研究所の半谷吾郎です。本日は、たいへん名誉ある賞をいただき、たいへん感激しております。私は、この賞は、自称「ヤクザル調査隊」というわたしたちのグループ全体に対しても与えられたものだと考えています。多くの仲間と長年にわたって続けてきた活動が、このように評価されたことを、この場にも大勢いる、調査隊の仲間とともに喜びたいと思います。



 「ヤクザル調査隊」は、毎年夏に、全国から数十人のボランティアの学生や社会人を募って屋久島でニホンザルの分布や個体数調査を行っているグループです。第1回の調査が行われたのは1989年、1997年までは全島の分布調査、1998年からは屋久島上部の大川林道終点付近に恒久的な調査地を設け、そこでの継続的な調査を行っています。のべ参加者は1169人になりました。



 さて、屋久島は1974年にニホンザル野生群の詳細な調査が最初に行われた場所です。屋久島には九州最高峰で1936メートルの宮之浦岳があり、海岸から山頂まで、標高に沿って大きく生息環境が変化することが重要な特徴です。海岸部には世界でも最大規模の照葉樹林が広がっていますが、標高800mを超えるとスギなどの針葉樹の巨木が多くなり、ヤクスギ林へと変わっていきます。さらに標高1700m以上では森林からヤクシマダケの草原へと変わります。冬にはしばしばこのような雪に覆われます。




 これは、われらがヤクザル調査隊隊長、この龍谷大学の好廣眞一さんです。この多様な屋久島で、全島規模のサルの暮らしを調べたいという、好廣さんの宿願を果たすために結成されたのが、ヤクザル調査隊です。


 私がはじめてヤクザル調査隊に参加したのは1993年、大学1年生のときでした。当時の調査隊は、垂直分布調査に取り組んでいました。林道の終点まで車で行き、そこから先はテントや食料などの荷物を全て担いで、キャンプ予定地まで歩いて上がります。ルートは、たいていは下見のときにテープで目印をつけただけの尾根を歩いていきます。


 ちなみに、ヤクザル調査隊は、素人の学生主体の調査ですから、方法は極めて単純です。調査は調査初心者による定点調査と、調査経験者による群れの追跡を組み合わせて行います。定点での発見頻度と、集団追跡の結果と定点調査を組み合わせることによって推定できる発見率から、このように集団密度を推定します。こうして、1997年までの5年間で西部地域の海岸から山頂までの連続的な垂直分布の全貌を明らかにすることができました。ニホンザルの数は標高によって連続的に減少するわけではなく、海岸近くだけ高く、後は変わらないというパターンを示していました。



 この時点で、わたしは大学院の1年目。このニホンザル密度の垂直変化を説明する環境要因を明らかにすることが、わたしの博士論文の柱になりました。食物が多いところに動物が多い、というのは、当然のことのように思えます。実際、果実食の霊長類を対象に、果実落下量が、霊長類のバイオマスと対応していることを示した研究があります。このような一見とても美しい研究にも、考えなくてはならない大きな問題があります。それは、食物環境は季節によって変動する、ということです。春夏秋に4頭分の食物があっても、冬に1頭分しかなければ、1頭だけ残して死に絶えてしまうかもしれません。すると、年間の食物の総量より、季節性の大きさの方が、動物の数に影響するかもしれません。


 そこで、わたしは、3年間にわたって、屋久島の低標高、中標高、高標高地域で結実フェノロジーと果実生産量を調べてみました。そうしてわかったことは、食物樹の密度や、一年のうち果実の利用できない期間の長さではなく、年間の総果実生産量が、サルの密度の変異にもっとも対応しているということでした。これは、ニホンザルが冬をどう乗り切っているかを改めてよく考えてみると、理解できます。サルは、冬を乗り切るのに、冬の食物だけで乗り切っているわけではなく、秋に果実を食べて脂肪として蓄え、それを消費して乗り切ります。秋に果実が少ない場所では、サルは脂肪を蓄積するために広い範囲を動き回る必要があり、その結果密度が低くなると考えられるのです。


 この論文は、望外なことに、Ecological Research論文賞をいただきました。受賞理由は、「困難な野外調査をやり遂げ、などなど」という理由でした。努力を評価していただけたのは、もちろんうれしかったのですが、その一方で、生息環境について、たった三つの比較だけで結論を言うのは、研究としての詰めが甘いことは認めざるを得ず、忸怩たる思いを感じていました。とはいえ、サルのような広い生息地を必要とする対象を相手に、個人でデータを取ってできることは、これが限界でした。


 わたしがこの研究を発展させるためにやったのは、対象をスケールアップして、メタ解析を行うことでした。ニホンザル全体で個体群密度の変異を整理してみると、照葉樹林帯が落葉樹林帯より、一貫して密度が高いことがわかりました。この二つの森林タイプの間には、一次生産そのものには差がありません。しかし、サルの食物という観点からいうと、冬に葉があるかないか、という、大きな差があります。照葉樹林のサルたちは、冬に成熟葉を食べます。成熟葉は栄養価が低いものの、かさがありますから、食物不足の程度は軽微です。一方、落葉樹林ではサルは冬芽や樹皮の裏の形成層を食べます。これらの食物は量を確保することが困難で、日中のほとんどの時間を費やしても消化管を満たすことができず、大きな食物不足に陥ります。野生のサルの食物摂取量を直接調べた研究によれば、常緑樹林では冬の食物摂取は必要量の90%程度、落葉樹林は60%程度です。




 屋久島の高地と低地のように、冬の食物が同一の条件の下では、年間の総果実量が直接サルの数に影響します。一方、冬の食物条件が大きく異なれば、それも数に影響します。冬の食物不足が甚だしければ、確保しなくてはならない脂肪の量が多くなり、それによって広い範囲を動き回らなければならず、密度は低くなります。


 日本全国の比較から、さらにスケールアップして、全世界の霊長類群集の比較を通じて、食物供給の季節変化の問題を検討しました。世界のさまざまな研究者と協力して、屋久島を含むアジア、アフリカ、中南米16箇所について、果実落下量を指標とした場合の年間の総果実量、その季節性の程度が、果実食霊長類のバイオマスに与える影響について、メタ解析を行いました。その結果、年間の果実の総量と、その季節性の、両方がバイオマスに影響を与えているということがわかりました。


 さて、もう一度、話を屋久島に戻したいと思います。博士課程に進学した後、わたしはヤクザル調査隊の分布調査の成果の上に立って、屋久島の上部域で、2年間、本格的な調査を行いました。霊長類の野外研究の基本は、行動観察です。昼行性で観察しやすく、群れを作ってさまざまな社会交渉を行う霊長類は、行動観察を行うことで、飛躍的に多くの情報を得ることができます。私が有利だったのは、屋久島海岸部に、30年の歴史を持つニホンザルの長期調査地があったということです。テーマは何であれ、上部域を開拓すれば、海岸部と上部域という、数キロメートルしか離れていないのに、たいへん異なる環境での生態を比較するという、ほかの調査地にはない独特な視点を持つことができます。幸運なことに、屋久島上部域のサルはわたしを恐れることもなく、スムーズに行動観察をすることができました。1999年から2001年にかけての2年間、ひとりで林道の終点まで車で行き、キャンプして調査をする、という生活を続けました。2年間で、この場所で400泊くらいはしたのではないかと思います。ヤクザル調査隊のにぎやかな調査とは対照的に、何日も、人を見ることさえなく、来る日も来る日も、森を歩いてサルをひたすら追いかける日々を送りました。


 その結果、さまざまな研究を行うことができました。葉っぱ食物選択に与える化学成分の影響、活動時間配分、ひなたっぼこやサル団子が体温保持に役立っていること、種子の散布と捕食、攻撃的交渉の起こる文脈、毛づくろい関係や順位序列のような社会構造などです。行動観察をベースにしたさまざまな研究の中で、ここでは、食性についての研究をご紹介しようと思います。たいへん記載的で地味な研究ですが、実は、わたしが書いた論文の中で、もっとも引用されているものです。


 ニホンザルは、通常果実食者であるとみなされています。ところが、屋久島の上部域のサルの食物でもっとも多くを占めているのは、常緑樹の葉でした。果実は年間の採食時間の13%、に過ぎません。一方、食性の季節変化と、結実フェノロジーを対応させると、サルは果実の多い時期に果実を食べており、サルにとって果実は、たとえ量的にわずかでも、あれば好んで食べる食物であると言えます。わたしは、これらのことは、温帯で生息する上で有効な二つの採食戦略を示していると考えました。温帯は果実生産の季節性が高く、果実のまったくない時期があります。そのような際には、季節にかかわらず利用できる、葉などの繊維性の食物に頼らざるを得ません。一方で、果実は利用できるときには食べておいたほうが、脂肪として蓄積できるため、必ずやって来る冬を乗り切るには有効です。繊維性食物への耐性と、果実への選好性は、温帯で生き延びるためにどちらも必要な性質であると、わたしは考えました。


 この論文を書く過程で、温帯と熱帯の生息環境の違いについて調べてみたところ、果実生産量やフェノロジーといった、森林を利用する動物の立場でより重要な森林の性質について、熱帯と温帯をきちんと比較した研究は、ほとんどないことに気づきました。そこから、温帯という環境の一般性とは何で、どこが熱帯と異なるのか、という、大きな問いへの探求が始まりました。その第一段階として、屋久島のデータを核にして、熱帯と温帯の果実落下量をメタ解析によってレビューしました。その結果、熱帯のほうが温帯より果実落下量は多いものの、その差は1.71倍とそれほど大きくないことを見出しました。現在は、さらに分析を進め、温帯は果実生産の年周期性が高いこと、展葉のピークが一年で特定の時期に起こること、展葉時期の長さが短いことなどが、わかってきました。



 また、その一方で、屋久島上部域での観察を基にした、温帯の霊長類の生態学的適応についての仮説の一般性を検討するため、マカク属の中で、分布の東と西の端にあたる日本と北アフリカに生息するニホンザルとバーバリマカクの食性を比較し、温帯特有と考えられた食性の特徴が、共通に見られることを明らかにしました。さらに現在は、共通の興味を持つ同僚の研究者と、広く霊長類全般について、緯度が食性に与える影響を明らかにする研究を進めています。


 食性の記載という、先端的とはとても言い難い研究が、温帯と熱帯の比較という大きなテーマに結びついていったのは、本来熱帯の動物である霊長類の中で、ニホンザルという温帯に住む種を対象としたこと、屋久島という、いわば温帯と熱帯のはざまの場所で、「貧しい温帯」である上部域と、「豊かな温帯」である海岸部という対照的な場所を、すぐ間近に見てきた経験があったからだと思います。そのような稀有な対象と調査地に出会えたことを、改めて幸運に思います。


 最後に、現在ヤクザル調査隊が取り組んでいることについて紹介します。1997年に屋久島全体の分布調査を終えた後、屋久島西部、標高1000m付近の大川林道終点地域に拠点を定め、その場所で集団密度と群れの構成、そして生息環境に関する長期継続調査を開始しました。それからすでに10年以上が経過しましたが、群れの動態が、先行して継続調査が行われている海岸部と大きく異なることが見えてきました。


 海岸部では動態は極めてダイナミックで、群れの消滅や遊動域の変化が見られます。この根本原因にあると考えられるのが、群れごとの出産率の顕著な差です。小さな群れでは、出産率は8%に過ぎず、これはメスが11年に1回しか出産できないことを意味します。ニホンザルのメスの繁殖可能年数はおよそ15年ですから、これでは一生のうちに1頭しか子供を生めません。当然、小さな群れはどんどん小さくなって、最終的に消滅します。一方、現在のところ上部域では群れの分布は安定しており、出産率にも群れごとに大きな違いが見られません。われわれの説明はこうです。果実生産の多い豊かな海岸部では、土地の価値が高く、群れはそれをめぐって争い、小さい群れは不利になります。一方、果実生産が低い上部域では、群れは争うことなく、大きな群れも小さな群れも同じように数を維持することができます。毎年着実にデータを積み重ねながら、この地域は屋久島の西部海岸部と比肩しうるもうひとつのニホンザルの長期野外調査地として成長しつつあります。伐採地の更新と自然林での果実生産の豊作不作という生息環境の年変動をモニターしながら、この地域のニホンザルの密度、人口学的パラメータ、群れの分布がどのように変化していくのかを、西部海岸部と比較しながら長期にわたって調べていきたいと考えています。二つの調査地は距離にしてわずか7kmしか離れておらず、空間的に不均一な状況で時間的に変動する環境でニホンザルという種がどのような動態を見せるか、ほかに類例のないデータを今後提供していけるのではないかと考えています。



 わたしがこれまでしてきた研究を振り返ると、たとえ全世界の森林や霊長類を対象とした研究でも、その発想のおおもとは、屋久島でひたすらサルを追いかけた日々にあることに、改めて気づきます。屋久島の森、屋久島のサルという、あるひとつの場所のあるひとつの種について、だれにも負けないような確たるデータを持っていれば、そこから十分に一般性のある研究を発展させ、世界中の研究者を巻き込んだ議論ができるような研究はできる、ということを、感じています。今日この場にいらっしゃる若い研究者のみなさんには、時間がたっぷりある大学院時代に、自分の対象種について、だれにも負けないような観察を積み重ねてくださいいただきたいと思います。それが、あなたを世界的な研究の舞台に押し上げる、一生の財産になると思います。


 これまでわたしの研究を支えてくださった、屋久島の研究仲間、京都大学人類進化論研究室、および霊長類研究所の皆さん、屋久島の山にこもるわたしを、心配しながら見送ってくれる家族に、この場を借りてお礼を言いたいと思います。研究成果とは別に、調査隊のもうひとつの大きな財産は、調査を通じて何百人の人が出会い、屋久島の森の中という厳しい環境で、互いに切磋琢磨しながら、調査という一つの共通の目的に向かって一丸となって努力するという、他では得られないかけがえのない経験をしてきたということです。調査隊をまるで母校のように思ってくれる多くの調査隊OBOGの皆さんの期待に応えるためにも、われわれはこれからも挑戦を続けていきたいと思います。ご静聴、ありがとうございました。


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