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シンポジウムポスター

当日のシンポジウムの講演とパネルディスカッション全編を動画で配信しています!Youtubeのロゴをクリックしてください。視聴ページへリンクします。
 
 

講演プログラム
(講演タイトルをクリックすると、講演全文がお読みいただけます)

早石周平(鎌倉女子大学、1999‐2008年参加)
冒頭挨拶 

山極壽一(京都大学総長: 1990、1993年参加)
「学生が作った屋久島のサル学」

ヤクシマザルの調査史は、1952年の川村俊蔵と伊谷純一郎という京都大学の研究者の2週間にわたる 屋久島訪問で幕を開けました。しかし、当時の屋久島ではサルがほとんど人前に姿を現さず、 2人はサルを数回ちらっと見ただけで、猟師の聞き込みからサルの生態や社会を推測していました。 その後、ニホンザルが幸島と高崎山で餌付けされたために、サルの調査は餌付け群に集中し、 屋久島での調査は途絶えました。調査が復活するのは1970年代に入ってからです。 餌付けという手法に疑問を覚えた学生たちが主体となって、西部林道でサルの群れと生息数を数える 調査を数年にわたって行い、その中の一人だった丸橋珠樹が人付けによる長期調査を始めました。 そこに黒田末寿と私が加わって、分裂によってできた3つの群れを追跡調査しました。 当時は調査費も乏しく、霊長類研究所の共同利用研究費や私費を使って、 永田に一軒家を借りての細々とした暮らしでした。以後、多くの学生が西部林道に集い、 さまざまなサルの生態、社会、行動の調査を繰り広げましたが、この小規模、学生主体の調査体制は 変わっていません。この精神はヤクザル調査隊にも受け継がれていると思います。本講演では、 ヤクザル調査隊が始まる前の、1970年代、1980年代の調査の様子を振り返ってみます。


好廣眞一(龍谷大学経営学部名誉教授: 1989-2010年参加)
「ヤクザル調査隊の始まりと、海岸域・山岳域の分布調査」

屋久島の西部林道で長期調査が始まってから10数年経過したころ、サルによるポンカン・タンカン食害、 いわゆる猿害が深刻化しました。その問題に研究者として貢献できることがないかと考えて、1989年、 南西部の猿害地の分布調査を40人で実施したのが、第1回のヤクザル調査隊です。翌1990年、 熟練者が追跡中の群れを、素人定点調査員がどれほど発見できたかを検討し、 われわれの方法が有効であることを確かめました。この年、鹿児島大学を通じて、 鹿児島県と地元二町から猿害地の分布調査を依頼され、1991-92年に、屋久島海岸部の全域調査を 行いました。4人の定点調査者と1人集団追跡者からなる班で、1km2の分布と個体数を調査する、 という、現在の方法が確立しました。1993-97年には、1900メートルにおよぶ垂直分布を、 どのようにサルが利用しているかを明らかにするため、海岸部から山頂部までの分布調査を、 自然植生が残されている西部域で行いました。これらの、およそ10年にわたる分布調査で明らかになった、 屋久島のニホンザルの分布についてお話しします。


半谷吾郎(京都大学霊長類研究所准教授: 1993-2018年参加)
「ヤクスギの森に住むニホンザルの暮らし」

垂直分布調査を終えたヤクザル調査隊は、2000年代以降、屋久島西部、標高1000メートル付近の ヤクスギ林で、継続調査を開始しました。また、わたしはヤクザル調査隊の分布調査の成果の上に立って、 1年間にわたる詳細な行動観察をもとにして、この場所のニホンザルの暮らしを調べました。 亜熱帯性の植物の混じる、ニホンザルの生息地としてもっとも豊かな場所である西部林道周辺の森と、 ときに数十センチメートルの積雪に覆われるヤクスギ林では、サルたちの暮らし方は非常に異なっていました。 この場所でのヤクザル調査隊の継続調査が20年近くに及ぶようになって、 長期にわたるダイナミックな社会の変動のあり方も、西部林道とヤクスギ林とで、 まったく異なることが明らかになってきました。ニホンジカやヤマビルなど、サル以外にまで広がっている、 現在のヤクザル調査隊の成果の最前線をお伝えしたいと思います。


本田剛章(京都大学霊長類研究所大学院生: 2013-2018年参加)
「屋久島山頂部のササ原に生息するニホンザル」

屋久島の標高1700m以上は、ササ類の一種であるヤクシマヤダケに一面覆われるササ原です。 これまで山頂部で本格的なニホンザルの調査はおこなわれず、彼らの詳しい生態はわかっていませんでしたが、 2015年から私が調査を開始しました。ヤクシマヤダケの展葉の季節変化を調べたところ、 屋久島山頂部は春から秋の非常に長い期間芽やタケノコが利用できる、特殊な環境であることが分かりました。 山頂部のニホンザルはヤクシマダケの栄養価の高い芽の髄とタケノコを選択して採食し、 食べ物がある春から秋までの期間、彼らはササ原を利用していました。西部海岸部とも、 ヤクスギ林に生息するニホンザルとも異なる、 特殊な環境に暮らす山頂部のニホンザルの生態が明らかになりつつあります。


松原始(東京大学総合研究博物館特任准教授: 1992-2000年参加)
「実録! ヤクザル調査隊24時」

ヤクザル調査隊の研究成果の背後には、定点に座り続け、山を歩き続けた、 数多くの調査者の苦労がありました。研究者といえば白衣を着てスマートに実験機材を相手にしているもの、 と思われるかもしれません。しかしフィールド調査は時に20キロ以上の荷物を背負い、道なき山中を突破し、 ずぶ濡れになりながらキャンプ生活を送り、いきなり30合の飯を炊けと言われ、台風が来れば避難し、 車が壊れ、そのたびに試行錯誤と失敗と辻褄合わせの連続となります。 調査に必要だからこそやっていることですし、終わってしまえば良き思い出ですが、その顛末は悲喜こもごも。 講演者が経験した中から、調査隊の生活についていくつかのエピソードをご紹介し、 「ヤクザル調査の日常」を感じて頂こうと思います。


パネルディスカッション 

会場

会場
東京大学弥生講堂一条ホール
アクセス: 東京メトロ
南北線 東大前駅 徒歩1分
千代田線 根津駅 徒歩8分

主催・共催

主催: ヤクザル調査隊
共催: 京都大学霊長類研究所、科学研究費基盤研究B「「普通」の生態系での植物食動物のナトリウム獲得戦略」
後援: 公益社団法人日本動物園水族館協会

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